鈴木スヱのこと①

 

らかんスタジオ 写真館
大正11年1月ワシントンにて

今回はらかんスタジオの創始者 鈴木清作の妻・スヱを紹介します。

スヱは、明治 30 年(1897)北海道石狩湾に面した厚田村で生まれました。 父・牧田重勝は、元会津藩士で戊辰戦争で敗れ、会津より北海道に落ちのびたのですが、まだ元服(成人)前だったので、助かったそうです。
その後、重勝は直心影流(じきしんかげりゅう)第 16 代剣士として、厚田村に撃剣道場「直心館」を開設。弟子の中に小説家となった子母澤寛(しもざわかん)がいて、小説「或る人の物語」に、重勝は主人公として描かれています。

当時の厚田村は鰊の大漁がつづき活気のある村だった所です。その後、牧田重勝は一家をあげて上京しましたが、重勝は病にかかりスヱは最期まで父親の看病をしました。

父親の死後、自由の身となったスヱは行儀見習いとして、石井菊次郎家に上りました。このころ女子は良縁を得るために、格式のある家に行儀見習いに行かせる家が多かったのです。スヱも石井家に上ったのですが、 思わぬ運命が待っていました。ご当主の石井菊次郎が大正 7 年(1918) アメリカ合衆国特命全権大使に任命され、ご家族と一緒に米国に赴任。 スヱも同行することになったのです。

この時、兄たちに米国行きを相談すると「おまえは、デッチリハトムネ だからアメリカ向きだ」と快く承諾してくれたそうです。スヱが父親の介護をしてくれたご褒美だったのでしょう。スヱが 21 才の時でした。
渡米してから数年経って鈴木清作と知り合い結婚しました。ニューヨー クでのらかんスタジオは日本人の著名の方がたが写真を写しにこられ、 そのポートレートが残されています。

また、在米の芸術家たちがよく集まり、らかんスタジオはサロンの場であったようでした。ここまでがスヱ の華やかな人生だったと思われます。

昭和 5 年(1930)、清作の母親から早く日本に帰ってきてほしいと切望する手紙が度々来るようになり、帰国することになりました。 渡米してから 13 年、自由なアメリカの生活がよほど良かったらしく、後に「私は日本に帰りたくなかった」 と述懷していました。