神代の景気

バブル景気になる前、武蔵野市が、藤村体操音楽学校の地上権を購入。その後手入れされないまま荒れていた跡地を、吉祥寺商店街の青年たちがボランティアで整地した。ここはのちに伊勢丹(現コピス)になる。

今回は私の体験した景気のお話をしたいと思います。
昭和 20 年 8 月に太平洋戦争が終わりました。国民学校(小学校)の三年生だった私は「日本は神の国だから絶対に戦争に負けない。いざとなったら神風が吹いて敵を撃退してくれる」と教え込まれていました。しかし、実際は神風は吹かず日本は戦争に敗れ、敗戦の惨めさを体験しました。あの頃は日本全国民が貧しく、ひもじさや寒さに耐えた時代でした。
反面、戦後国民に与えられた自由は素晴らしいもので、人々は懸命に働き、日本の国はみるみる復興して景気もよくなってきました。戦後10 年経った頃は、日本の高度成長期がはじまり「神武景気」「岩戸景気」「いざなぎ景気」とゆるやかな右肩上がりの好景気が続きました。
なぜか景気名は神代の名前がついています。それだけそれまでにない成長率だったということです。 そして「バブル景気」という爆発的な景気の絶頂期が 5 年程続き、ついに1997年11月にバブルが弾け、文字通りこの景気は”アワ”となって 消えてしまいました。
このバブル期には土地が高騰し「土地神話」という言葉が出てきました。この時期、北海道拓殖銀行が破綻したのをはじめとし山一證券や多くの中小企業が倒産。信じられない事態が発生しました。

その頃らかんでは、11月の七五三を終えてその焼増の注文で財政が潤う時期でしたが、お客様の財布のひもが堅く閉ざされてしまい、その年の売上は厳しいものでした。日本の経済と同様にらかんも氷河期が続きましたが、何とか凌ぐことができました。

これからも緩やかで いいから、穏やかな景気が続いて欲しいと願っております。