野口英世と鈴木らかん

野口英世博士
野口英世博士

らかんスタジオ初代鈴木清作は横浜の写真館で働いていましたが、写真家を目指して1914年渡米。ニューヨークの写真学校で学び、アルバイトで稼ぎ、1920年にフォトスタジオを開きました。
そして1921年に念願のニューヨーク五番街に進出し、店名をらかんスタジオと命名したのです。写真の創作に熱心で、鈴木らかん清作として数々の作品を残しています。 当時、ロックフェラー研究所では、野口英世が病理学の研究をしていました。二人は日本人会で出会い、1927年、野口の依頼で肖像写真を数カット撮影したのです。 翌1928年2月、野口はアフリカで黄熱病に罹り、亡くなったので、この写真が文明社会で撮った最後の肖像写真になりました