野口英世博士

野口英世博士・撮影した数カットの内の1枚
野口英世博士・撮影した数カットの内の1枚。

1927年、野口英世博士がアフリカへ出発される直前、博士のご依頼により、ポートレートを数カット撮影している。

当時、博士は時折、ニューヨークの日本人会に顔を出し、よく将棋をさされていた。その日本人会で、らかんは博士と親しくなり、写真撮影のご依頼を受けることになったのであった。

撮影はロックフェラー研究所で行なわれた。 アフリカに出発直前の慌しいときだったとのことで、博士の表情には少しお疲れの様子が見える。

写真は撮影後、徹夜でプリン トし、翌日お納めしたところ、お気に入りの1枚に署名し、年号を書いて下さった。その写真は野口英世記念館に寄贈した。

野口博士は、幼いとき左手に大やけどを負ったため、写真を撮られるときは、きまってその手をかくすようにしていたが、らかん撮影の中の1枚は、その左手が見えるというので非常に珍らしいと言われている。

博士は写真撮影の 1 週間後にアフリカに発たれ、彼の地で、間もなく黄熱病に患い、亡くなられてしまったので、はからずも、この写真が博士最後のポートレートになって しまった。 野口英世博士は幼名を ” 清作 ” といい、 鈴木らかん清作と同じ名で、奇しきえにしと言えると思う。