魔法の四畳半


当時のらかんにはオールマイティの四畳半がありました。 この部屋の中心に半畳(90cm 四方)の掘コタツがあり、足を下ろすと椅子に座っている状態になります。
寒い時期は足元に火(炭)を入れると体がよく暖まり、夏になるとその部分に専用の板をのせるだけで、一 年中テーブルとして使える重宝な掘コタツでした。


その掘コタツ、まず食事の時は食卓になります。次は写真の仕上用テー ブルに早変わりです。暗室からスタジオの写真が焼き上がると水洗いし、それをドラム式の乾燥機にかけます。乾燥された写真は熱でまるまってし まうので、それを竹の菜箸で伸ばします。それから同じ顔の写真をまとめてカッターで四角をカットし、人別ごとに名前を書いた袋に入れます。

験シーズンには、一人で 30 枚も注文するお客様もいて大童でした。スタジオの写真が片付くと今度は DPE のプリントが焼き上がり、同じことを繰り返します。文字通り家内工業の様相そのものでした。

その間もこの掘コタツのテーブルは店の経理の帳簿づけをしたり、二人の子供も私が店の仕事をする時はお絵描きをしたり 本を読んだりしていました。特に思い出すのは、観がとても欲しがったバキュームカーのミニカーがどこにも売っていませんでした(デパートにはあらゆる車種のミニカーがあるというのに…)。すると観は掃除機のホースを掘コタツの中に入れて、すっかりその気になって得意顔でした。子供の発想力には脱帽です。その他、知人や問屋さんが上がってお茶を飲んでいったりしました。

この四畳半には懐かしの昭和の生 活の想い出がぎっしり詰まっています。昭和 59年に現在のビルが 建ちましたが、この時期をもって私の中での昭和は終わったように思います。