100周年に際し

2019年5月ニューヨーク来訪時。ラガーディア空港上空からマンハッタンを望む。

吉祥寺NYは、2002年に「いつかはNewYorkに戻るぞ」という気持ちを込めて作りました。ニューヨークと発音すると、紛らわしいのでエヌワイと発音し、本物がNewYorkに出来たら「ニューヨーク店」と命名しようと考えました。もちろん、今から20年近く前のらかんスタジオには、そのような力はありませんでした。NY(エヌワイ)というのも、少々恥ずかしい気もしましたが、夢は大きいほうが良いかと考え、思い切って命名したのです。

時は20年近く経ち、現在の体力ならば海外進出も夢ではなくなりました。もちろん、海外でも成功するだけの「強み・得意分野」に磨きをかけなくてはなりません。

なぜコダックは破綻し、富士フィルムは生き残ったのか

一方で、今のビジネスモデルが、このまま続くとは限りません。強みや得意分野に磨きをかけることは、とても大切ですが、進化するタイミングや、進化しようとする気持ちを忘れてしまうと、落とし穴に落ちる羽目になります。

らかんスタジオは、1995年頃までの30年間は、DPE(プリントショップ・カメラ店)の売上に大きく依存していました。中でも、コダックと富士フィルムは、カラーフィルムの製造から現像所の経営までを行い、巨大な会社となっており、私達はその取次店のような仕事でした。特にコダックは「世界のコダック」と呼ばれていて、エジソンと共同開発した映画やフィルムで1900年初頭から有名な会社でした。

しかし、デジタルカメラの進出は「破壊的変化」を写真業界にもたらしました。そのような中、らかんスタジオはよく純粋な写真館に変貌を遂げたと思います。その過程では、取引先の現像所が破綻したり、富士フィルムの販売会社が粉飾決算で崩れ去ったりしました。中でも写真業界に震撼が走ったのはコダックの倒産です。デジタルカメラを発明した会社が倒産したのです。

しかし、フィルム製造技術を別な商品に応用した富士フィルムは生き残りました。何がこの明暗を分けたのでしょう? 答えは「変化」ではないでしょうか? 私達も「変化が大好き会社」にならなければいけないのです。実際、たくさん変化をして今に至っています。ダーウィンの言うように、強いものや賢いものが生き残るのではなく、変化できる種のみが生き残るのです。