Brooksという写真学校を卒業したのが1986年の3月。それから現在まで(30年以上!うっ!ビックリすぎる)、写真一筋でやってきた。思えば色々あったなぁ。らかんスタジオに入社したのは1987年で、当時は本店しかなく、写真スタジオが2階、1階はカメラ店だった。
学校写真も叔父が主に担当していて、いわゆる写真業務全般を請け負う兼業店であった。吉祥寺の中心地に古くからやっていたこともあり、フィルム現像は1日に数百本を受注する日もあった。となりのロンロン(現アトレ)という駅ビルにも小さいながらお店があり、そこでも同じく1日に100本は受注していたと思う。
最初は父が始めたのだが、1987年からは僕が毎朝ひとりで8時30分には店を開けて、通勤客がフィルムを置いて行くのを受け付けていた。10年は続けただろうか。社員さん達は9時30分に出社なので、その間の1時間はひとりで切り盛りした。暇なときは日経新聞を読んだり、忙しいときは、2階のスタジオで証明写真も撮ったりしていた。でも、僕は一貫して「撮影」をやりたかった。なぜなら、らかんスタジオは元々は写真館であったし、僕自身、写真学校を卒業して撮影技術が大好きだったからなんだ。