鈴木スヱのこと①

 

らかんスタジオ 写真館
大正11年1月ワシントンにて

今回はらかんスタジオの創始者 鈴木清作の妻・スヱを紹介します。

スヱは、明治 30 年(1897)北海道石狩湾に面した厚田村で生まれました。 父・牧田重勝は、元会津藩士で戊辰戦争で敗れ、会津より北海道に落ちのびたのですが、まだ元服(成人)前だったので、助かったそうです。
その後、重勝は直心影流(じきしんかげりゅう)第 16 代剣士として、厚田村に撃剣道場「直心館」を開設。弟子の中に小説家となった子母澤寛(しもざわかん)がいて、小説「或る人の物語」に、重勝は主人公として描かれています。

当時の厚田村は鰊の大漁がつづき活気のある村だった所です。その後、牧田重勝は一家をあげて上京しましたが、重勝は病にかかりスヱは最期まで父親の看病をしました。

“鈴木スヱのこと①” の続きを読む

「たった1着からのスタート」

今では写真館で衣装をレンタル するのは当たり前ですが、こんな エピソードがあったのです

仙台店がオープンして間も無い頃、社長から誘われて店舗を見学してきました。 仙台店は、ゆったりとした造りで撮影用の貸衣裳は他の店舗と同様にズラリと揃って並んでいました。
5歳男児の着物を見ながら、 ふと40 年ほど前のらかんスタジオの光景を思い出しました。

その当時の写真館には、貸衣裳の用意はありませんでした。「もちは餅屋」と言われるように「写真館」と「貸衣裳店」はそれぞれの領分がはっきりとしていました。ところがある時から貸衣裳店が写真を撮影するようになったのです。
“「たった1着からのスタート」” の続きを読む

「トイレなし、ヒルメシなし」

バッキンガム宮殿の衛兵のような洋服で撮った鈴木観の七五三写真

「昼食もトイレタイムもない!」なんて、これってブラック企業ですよね。
実はらかんも 30 年くらい前までは、年に2日間だけこのような日がありました。

その2日間というのは、1月15日の「成人式の日」と11月15日の「七五三の日」です。

昭和23年(1948年)に国民の祝日法ができ、成人式は1月15日となりました。これは平成11年(1999 年)まで続きましたが連休を増やすために移動できる祝日「ハッピーマンデー」をつくり、 成人式は固定ではなくなりました。

“「トイレなし、ヒルメシなし」” の続きを読む

神代の景気

バブル景気になる前、武蔵野市が、藤村体操音楽学校の地上権を購入。その後手入れされないまま荒れていた跡地を、吉祥寺商店街の青年たちがボランティアで整地した。ここはのちに伊勢丹(現コピス)になる。

今回は私の体験した景気のお話をしたいと思います。
昭和 20 年 8 月に太平洋戦争が終わりました。国民学校(小学校)の三年生だった私は「日本は神の国だから絶対に戦争に負けない。いざとなったら神風が吹いて敵を撃退してくれる」と教え込まれていました。しかし、実際は神風は吹かず日本は戦争に敗れ、敗戦の惨めさを体験しました。あの頃は日本全国民が貧しく、ひもじさや寒さに耐えた時代でした。 “神代の景気” の続きを読む

魔法の四畳半


当時のらかんにはオールマイティの四畳半がありました。 この部屋の中心に半畳(90cm 四方)の掘コタツがあり、足を下ろすと椅子に座っている状態になります。
寒い時期は足元に火(炭)を入れると体がよく暖まり、夏になるとその部分に専用の板をのせるだけで、一 年中テーブルとして使える重宝な掘コタツでした。