会長が見つめてきた歴史の変遷【1960年代】

30年頃 中道入口
30年頃の吉祥寺

昭和30年頃、その頃はまだ戦後の混乱状況から立ち直ってはいない頃でした。
店名は「写真のらかん」と称していたり、「カメラのらかん」と言ったりしていました。記念写真を撮影に来るお客様はとても少なかった時代です。

もともとは、写真撮影専門だったのですが、戦後は国民すべてが飢えていて、お子様や家族写真を撮影するゆとりがなかったのです。
当時は写真よりも食べるものが優先でした。写真は「不要不急」と言われていたのです。

やがて、世の中が少し落ち着いてくると、自分がカメラを持ち自分たちで写真を写す時代が怒濤のようにやってきました。フジフィルムや小西六写真(さくら・コニカ)、オリエンタル写真などが感光材料を作り、日本光学(ニコン)、千代田光学(ミノルタ)、オリンパスなどがカメラを作りました。
アメリカのコダックやドイツのアグファの製品も輸入され、アマチュア写真が大流行したのです。

その頃に店名を「カメラのらかん」「らかんフォトサービス」として、カメラの販売をしたり、一般のスナップ写真の現像・焼き付けを連日夜遅くまでして、らかんは生き延びてきました。