これは、昭和50年頃の写真だと思います。当時1階がカメラ店で写真スタジオは2階にありました。カラー写真全盛時代でカメラもたくさん売れました。カラー関係はフジカラー他に外注していましたが、白黒のフィルム現像やプリントは裏の暗室で自家処理していました。接客中の後ろ向きの女性は、現在も本部で仕事をしています。
これは、昭和50年頃の写真だと思います。当時1階がカメラ店で写真スタジオは2階にありました。カラー写真全盛時代でカメラもたくさん売れました。カラー関係はフジカラー他に外注していましたが、白黒のフィルム現像やプリントは裏の暗室で自家処理していました。接客中の後ろ向きの女性は、現在も本部で仕事をしています。
幼児から小学生までの頃はお話も行動も可愛かったカン坊。
この写真は、今逞しくらかんスタジオを牽引している観(らかんスタジオ代表取締役 鈴木観)の幼稚園入園記念写真です。
大型キャビネガラス乾板で撮影しましたが、保存中に上部が欠けてしまいました。
この後ガラス乾板はフィルムに変わり、カメラは小型で機能が格段に良くなり、白黒がカラー化し、デジタル時代に様変わりして目まぐるしく、私のような年寄りは付いて行くのが難しくなって来ました。
ニューヨークで10年営業したらかんスタジオは、帰国後阿佐ヶ谷で5年営業したのち、昭和10年吉祥寺に移転しました。その店舗は戦争で強制的に壊され一旦三鷹に疎開。戦後再び吉祥寺の元の地に戻りました。その店舗が電信柱のかげのこの店です。建築材料が不足の時代で貧弱な店でした。