ロンロンに出店

ロンロン店のお店
ロンロン店

昭和42年ごろ吉祥寺駅高架下に商店街が出来るという話が聞こえてきました。全国的な有名店が入るのですが、地元の商工会議所関係の有力商店もいくつか候補に挙がったのです。そこで、商工会議所に、その商店街に入居したいと相談。当時の会議所専務飯塚さんが、何回も駅側と折衝してくれて、有名店ではなかったのに、らかんスタジオの入居を決めてくれたといういきさつがあります。

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暗室

暗室(昭和 54 年)
暗室(昭和 54 年)

私は小学生のころから暗室が大好きで、現像液に浸した白い紙から、画像が浮き出てくるのを「なんて不思議だ、まるで魔法を見ているようだ」と、飽きもせず見ていました。暗室は面白いところだと思い始めたのです。
暗室は定着液に使う酢酸のすっぱい匂いに、現像液のアルカリの匂いが混ざって、独特の匂いがしていました。長じてから、覆い焼き、焼き込みの技術を習得し、得意わざにしていました。
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ポートレイト

ニューヨークらかんスタジオは、男性客と女性客がほぼ同じくらいありました。人物写真の撮影が主体で、特に男性ポー トレイトを得意にしていたのです。

ほとんどは顔が大きいアップの写真です。
初代の清作は、これらを「ビッグヘッド」と呼んでいました。

 

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写真師

30 〜 40年前まで 写真館の館主は先生と呼ばれていた写真師でした。
先生を意味する「師」が 付く理由は、1862年日本に初めて写真館が開設されたころから長い間、 先進的な科学や化学の幅広い知識と、芸術的な感性をも持っていて、社会の中で一目置かれる存在だったからです。

日本で「カメラマン」は、日常語になっていますけれど、欧米でカメラマン
と言えば、新聞社やTV 局などの報道カメラマンのことをそう言っていて、私たちのような写真家のことは、「フォトグラファー」 といって区別されています。

戦後「おい写真屋!」などと小馬鹿にされた時代もちょっとありましたが、最近はそんなことは言われなくなりました。昔の「先生」ではなくても良いですが、私たちは絶えず勉強して、写真家、フォトグラファーの地位は保持したいものです。