「さんま焼く 煙の中の 顔わらふ」
武蔵野市内の某写真屋さんから誘われて、俳句を始めたのは40年ほど前でした。やがてその俳句会は消滅しましたが、私はひとりで下手ながら今でも句を作っています。なぜなら俳句は写真に通じるからです。
「さんま焼く 煙の中の 顔わらふ」
武蔵野市内の某写真屋さんから誘われて、俳句を始めたのは40年ほど前でした。やがてその俳句会は消滅しましたが、私はひとりで下手ながら今でも句を作っています。なぜなら俳句は写真に通じるからです。
昔は、入学式の写真やアルバム用のクラスの集合写真を撮りに、よく学校まで出写に行きました。重い八つ切り木製組立暗箱をかつぎ、フィルムの入った撮りわくを数枚持って保谷小学校に行ったときのことです。
組み立てたカメラにカブリという黒い布を掛け、生徒をうまく並ばせようとカメラから離れたときに突風が吹いたのです。
面白くて楽しかった昔の遊び、昭和 12 年ごろから 19 年ごろの小学校時代が近 所の子供達と一番遊んだ時代です。何と言っても井の頭公園は最高の遊び場でした。セミ捕り、木登り、エビ掬い。長い橋のたもと辺りにはたくさん小エビがいました。
昭和42年ごろ吉祥寺駅高架下に商店街が出来るという話が聞こえてきました。全国的な有名店が入るのですが、地元の商工会議所関係の有力商店もいくつか候補に挙がったのです。そこで、商工会議所に、その商店街に入居したいと相談。当時の会議所専務飯塚さんが、何回も駅側と折衝してくれて、有名店ではなかったのに、らかんスタジオの入居を決めてくれたといういきさつがあります。
私は小学生のころから暗室が大好きで、現像液に浸した白い紙から、画像が浮き出てくるのを「なんて不思議だ、まるで魔法を見ているようだ」と、飽きもせず見ていました。暗室は面白いところだと思い始めたのです。
暗室は定着液に使う酢酸のすっぱい匂いに、現像液のアルカリの匂いが混ざって、独特の匂いがしていました。長じてから、覆い焼き、焼き込みの技術を習得し、得意わざにしていました。
“暗室” の続きを読む