ロンロンに出店

ロンロン店のお店
ロンロン店

昭和42年ごろ吉祥寺駅高架下に商店街が出来るという話が聞こえてきました。全国的な有名店が入るのですが、地元の商工会議所関係の有力商店もいくつか候補に挙がったのです。そこで、商工会議所に、その商店街に入居したいと相談。当時の会議所専務飯塚さんが、何回も駅側と折衝してくれて、有名店ではなかったのに、らかんスタジオの入居を決めてくれたといういきさつがあります。

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会長が見つめてきた歴史の変遷【1980年代】

昭和57年の吉祥寺
昭和57年の吉祥寺(サンロード入り口)

80年代はカラーフィルムの全盛期で、フジフィルム・コダック・コニカの勢いがあった時代です。
らかんスタジオは、70 年代後半と変わらず、大量のフィルムをお客様からお預かりして現像する取り次ぎ業務が多かったです。80 年代後半から 90 年代にかけては売上も良く、とても良い時代でした。 “会長が見つめてきた歴史の変遷【1980年代】” の続きを読む

会長が見つめてきた歴史の変遷【1970年代】

昭和48年の吉祥寺
昭和48年の吉祥寺(造成中の元町)

70年代に入るとカメラも安くなり、一般の人も写真を撮りはじめ、白黒写真からカラー写真の時代になりました。60年代の後半あたりから徐々に、カラーへ移行をはじめていましたが、それが本格化してきたのです。

60年代は、自宅に暗室があり、自分で白黒写真を現像・プリントしている人も多く見られました。しかし70年代になるにつれ、カラー写真の現像時に使用する薬品が、白黒写真の現像時とは異なるため、自宅ではプリント出来ず、フィルムを現像所に出すということが主流になりました。

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会長が見つめてきた歴史の変遷【1960年代】

30年頃 中道入口
30年頃の吉祥寺

昭和30年頃、その頃はまだ戦後の混乱状況から立ち直ってはいない頃でした。
店名は「写真のらかん」と称していたり、「カメラのらかん」と言ったりしていました。記念写真を撮影に来るお客様はとても少なかった時代です。

もともとは、写真撮影専門だったのですが、戦後は国民すべてが飢えていて、お子様や家族写真を撮影するゆとりがなかったのです。
当時は写真よりも食べるものが優先でした。写真は「不要不急」と言われていたのです。

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らかんスタジオ命名の由来

らかんスタジオ 写真館
らかんスタジの初代ロゴ

この一風変わったスタジオ名は、一体どういうわけでつけられたのか。 よく聞かれる質問である。

1921年ニューヨーク五番街にスタジオを開設するに当り、その館名を何とつけようかと随分考えたそうである。

日本人として誇れるような、東洋的な名称をということで、いろいろ頭をひねったそうであるが、結局、ラカンという言葉に行きついたのであった。

その意味は、五百羅漢の羅漢で、悟りを得た人間、聖者のことである。 ラカンという音がアメリカ人の耳にもよく響くということで 命名されたそうだ。

そして、RAKAN ではなく、LAQUAN と綴ることによって、 フランス的な洒落れた感覚にしたそうである。日本文字で表 わすときは、上の画像のように変体がなを使った。そして、 創業者の鈴木清作は1924年から『らかん』を自分の雅号とし、LAQUAN・ SUZUKI と名乗って作品を発表し続けたのである。