あたたかい家庭には、いつも家族の笑顔と美味しそうなにおいが立ち込める。特別な食材じゃなくても、家族のことを想って作ったごはんは特別なごちそう。

毎日のごはんが、家族の絆になる。日々の何気ないごはんを写真と文章に収めることで、そんなことに気づいてもらえるコラムを綴ります。

写真館に嫁いで その1

昭和35年頃らかんスタジオ店頭にて
らかん DP 店店頭、下駄履きの元子と父清作。(昭和 34~35 年頃)

昭和34年私はらかんスタジオに嫁いできました。
当時、育男の父母と弟の公宜は、三鷹新川に住んでいました。母は新川で一人で雑貨屋を営み、父と弟は吉祥寺のらかんスタジオに通っていました。私たちは今の本店の2階に住んでいたので、「我が家はらかん」でした。

父清作、育男、公宜と住み込み従業員3人と私の合計7人の食事は毎日私が作りました。一般の家庭では、全員が揃って食事をしますが、商店は交代でします。
らかんスタジオも店頭とスタジオのスタッフ全員の食事が終わるのは、大抵3時過ぎになりました。その後、夕食の食材の買い物に行きます。私は一日中食事の世話で私的なことは何もできず、苦痛に思うことがしばしばありました。

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紐育(ニューヨーク)時代のレンズと暗室の話

大型ダルメヤーレンズ
大型ダルメヤーレンズ

これは1920 年代ニューヨークのらかんスタジオで使用していたスタジオレンズです。 当時は、このように大砲のような大きくて重いレンズを付けた大型スタジオカメラ(アンソニーカメラ)を動かして、あの野口英世先生や、作家の久米正雄先生などを撮影していました。 “紐育(ニューヨーク)時代のレンズと暗室の話” の続きを読む