ニューヨークらかんスタジオは、人物撮影のほか、いわゆる芸術的写真の製作にも力を入れていました。風景写真、ヌード以外に、果物や皿、楽器などを美術的に撮影していたのです。これは販売のためではなく、ひたすら美術写真をクリエイトしたいという意欲の現われでした。
あたたかい家庭には、いつも家族の笑顔と美味しそうなにおいが立ち込める。特別な食材じゃなくても、家族のことを想って作ったごはんは特別なごちそう。
毎日のごはんが、家族の絆になる。日々の何気ないごはんを写真と文章に収めることで、そんなことに気づいてもらえるコラムを綴ります。
俳句と写真
「さんま焼く 煙の中の 顔わらふ」
武蔵野市内の某写真屋さんから誘われて、俳句を始めたのは40年ほど前でした。やがてその俳句会は消滅しましたが、私はひとりで下手ながら今でも句を作っています。なぜなら俳句は写真に通じるからです。
出写で事故
昔は、入学式の写真やアルバム用のクラスの集合写真を撮りに、よく学校まで出写に行きました。重い八つ切り木製組立暗箱をかつぎ、フィルムの入った撮りわくを数枚持って保谷小学校に行ったときのことです。
組み立てたカメラにカブリという黒い布を掛け、生徒をうまく並ばせようとカメラから離れたときに突風が吹いたのです。
昔の遊び場
面白くて楽しかった昔の遊び、昭和 12 年ごろから 19 年ごろの小学校時代が近 所の子供達と一番遊んだ時代です。何と言っても井の頭公園は最高の遊び場でした。セミ捕り、木登り、エビ掬い。長い橋のたもと辺りにはたくさん小エビがいました。
ロンロンに出店
昭和42年ごろ吉祥寺駅高架下に商店街が出来るという話が聞こえてきました。全国的な有名店が入るのですが、地元の商工会議所関係の有力商店もいくつか候補に挙がったのです。そこで、商工会議所に、その商店街に入居したいと相談。当時の会議所専務飯塚さんが、何回も駅側と折衝してくれて、有名店ではなかったのに、らかんスタジオの入居を決めてくれたといういきさつがあります。